あたしたちだけの王国に性別はない

はーい、どうも、久しぶりです。
昨日はこれ書きながらお酒飲んでたら、書き終わるより酔っぱらう方が早くて、今日、仕切り直しです。なんでかしらん途中まで書いてたのが消えてたんで、最初からということになってしまいました。お酒飲みながら長文書くなってことですよね、や、予想以上に長い文章になったっていうのもあるんですが。わたしは多少の酔いなら文章を書くスピードは早くなるし冴えることもあるんです、酔拳みたいに。でも、当然のことながらこの技は時間経過に弱いわけで.....残り400字向きですね....ゲフ

あーあたまいたい。いたーいたーいたーいやー。
あたまいたいので前置き抜きで。

ええっとですなー。
村田沙耶香さんの『御伽の部屋』という小説を先日読みました。
これ、「あたし」という若い女性を主人公にした一人称小説なのですが、少女時代の回想シーンで女装少年が出てきます。といっても、この女装少年、きょうび萌え系漫画で見るような洗練された「男の娘」というのとは違うようで、わたしなんかが読むと、「んぐ」となるような描写が...ようはかなり気持ち悪く描かれておるわけですわ...。

「あたしは正男お姉ちゃんの腕や肘に生えた黒くて太い体毛と、よく動く筋肉を眺めている」
「ゴムでよく伸びるようにできた淡い色彩のワンピースが、逞しい男の肉体に押し広げられてしまっていた」
→これとかヒドいね...絵が想像できる(^-^;)

まだ声変わり前だからちゃんとすれば多少アレでも何とかなるんじゃないのかしらんとも思うんだけれど、そうか、もともとガッチリ体型なのだね。

どうやらこの正男お姉さんは女性への興味から女装するというのでもなく、当然ナルシシズムだけのために女装するというのでもなく、本当は自分は女子だと信じている、つまり、GIDっぽいかんじ、と言っていいと思うんだけれども...それを表に出せないんですよね。で、正男お姉さんは自分の部屋で「あたし」に対してだけそれを見せる。「あたし」と正男お姉さんは姉妹ごっこのようなことをやるわけです。最終的には正男お姉さんはトランスを、まあ挫折するということになって、それ以降、「あたし」との縁は切れます。これが回想シーン。

で、その十年以上たったあとで、「あたし」はまた密室の中での奇妙な関係を、ひょんなことから知り合った男性と結びます。今度は何かっていうとお世話プレイ...この男性はセックスはしてこないのですね、でも、お世話をしてくれる、パンツも履かせてくれる、こっちが『死んでやるっ!』って言ったら(当然死ぬ気はない)、優しく慰めてくれる。
この男性、ちょっとおかしいようにも思えますが、んーまあ、語り手が作者に成り代わって設定をちょっと強調しすぎるところ(どうもこの説明調がこの作者の欠点であるようにわたしには見える....んだけど)を割り引いて考えれば、現実に存在しうるキャラクターだと思います。21世紀っぽいっすね。超絶草食系男子?

こういう密室の中で「あたしたちだけの王国」を作る風な小説は、特に現代の純文学女性作家によく見られるのですが、(小川洋子とか、川上未映子の『ヘヴン』なんかもそうかもしれませんね)多くの場合、この王国は最終的には崩壊します。堅固だと思われていた土の城が、いつの間にか、どこかから小さな穴があいてやがてそこからバラバラに互解してしまうように。この小説も例外ではありません。なぜバラバラになってしまうのか?その辺りはわたしにいくつか思い当たりがありますが、それはまた今度書こうかしら、ちょっとテーマが広がりすぎだわ。

とにかく、こういった「あたしたちだけの王国」を作ることで彼女らは何をしているか、というと、様々な社会の縛り、中でも多くの場合ジェンダーの縛りを相対化しようとしているのです。この『御伽の部屋』では、もう攻撃対象はジェンダー一本、性別を徹底的に無力化しようと試みています。そのためには密室が必要なのです。そう、密室なら何したっていいんです。どのように愛し合おうが自由なのです。男と女が逆転したっていいし、コスプレしたっていいし、蹴り入れたっていい。お互いがそれで同意をしているならば。そしてそういう特殊な世界は、性別を無効化する。この小説の中で、「あたし」が男性の友人とセックスをしそうになってしまうシーンがあります。健康的で、いかにも「普通な」男性です。「あたし」がその男性に性器を挿入されそうになったとき、「この男とやったらあたしは必ず妊娠してしまうような気がする」と思い込むのは何とも示唆的。「あたし」は強制的に女にされてしまう、そして絶え間ない吐き気が「あたし」を襲うことになります。

確かに、女性である「あたし」が、男性に子どものように甘えてお世話をしてもらう、という構図は、通常の男女関係の延長または誇張化であるようにも見えるところもあります。しかしこの読み方は、「あたし」が介護の本を買い込み、「いずれ老人になったあの人を今度はわたしが徹底的に介護してあげるんだ」と妄想するシーンで排除される。つまりこの関係は状況によっては逆転可能であることが示されるわけです。ま、ちょっとこのシーン、唐突なような気もするんですけどね...^^;

性別の無い「あたしたちだけの王国」に向かって彼女を走らせるのはもちろん女であることを押し付けられることの違和感なわけですが、これまでの他の似たような小説と違っているのは、男性との関係が崩壊した後のラストです。「ああ、あたしたちの世界は終わってしまったんだわ...」と感傷には浸る、なんて情けないことにはなりません。「あたし」は彼の服を着て「僕」になるのです。「あたしたちだけの王国」は、「僕の王国」となり、そしてそれで外の世界に飛び出していく。たぶん、十年前にはこういう小説はなかったと思います。くたばれ女々しい敗北主義、ですよね。
村田さん、確か『ギンイロノウタ』でもラストで攻撃に転じるのではなかったかしら。ちょうアグレッシヴ。いまひとつ不器用だと思うけど。

ところで、「あたし」に「王国」を作ることを教えてくれたのが、あの回想の中での女装少年だったわけですが、彼女がもし萌え系男の娘だったらどうなっていたでしょう。たぶん「王国」にはなっていなかったと思います。女の子はかくあるべし、という外部のジェンダー観が入ってきちゃうから。正男お姉ちゃんは、アイタタ系だったからこそ、「あたし」と共犯者になり、別れたあとも強く印象を残し、後々まで影響を及ぼすことになったのです。これは「心が美しければ外見なんて関係ないっ」式の決まり文句とはまったく関係がありません。「あたしたちだけの王国」は弱いもの同士、社会的な序列から排除されたもの同士で作られるものなのです。男性との「王国」が崩壊した原因のひとつは、「あたし」が男性の大学に忍び込み、そこで今まで見てきたのとはぜんぜん違う、いたって普通の男子大学生の姿を見たことでした。

授乳 (講談社文庫)

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