Monologue....

 分かりやすく言えば<精神的な問題>が原因でまるで散歩中の犬がむりくり飼い主に鎖を引っ張られるようにして実家に帰ってから約数年、わたしは再び東京の街に降り立ち、あたりを見回して19の頃に味わった新鮮さというのは人生で一度こっきりのものだったのだなということを改めて感じたのだった。寒風が吹き渡る1月の朝5時の新宿の白々とした街なみにはもはや特にわたしにとって見るべきものはなく、震える両手を合わせビル群のまっただ中で矩形に区切られたうす藍色の空を見上げながらただただあたたかな飲み物を求めていた。
 ただしあの頃とはこちら側が何もかも変わっていた。合うかどうか分からないけれども存在のかたちをもう一方の側に合わせたいというわたしの欲求を精神医学の世界では三つのアルファベット、もしくは<disordor>というものものしい意味の単語を含む五つの漢字で言い表すらしいけれど、そのやたら窮屈な箱にわたしの身体が、おそらく他の人同様に、すっぽりと収まるとはとても思えないことは分かっていたけれどとにかくあの頃とは違いわたしの髪は長くそして顔にはうっすらと化粧をしていた。バスは女性用の席に座っていた。
 それから一週間も経たないうちに夜のお店で働く事になって、さらに一ヶ月後には昼間の職が決まった。想定外なことはあったけれどひとまず順調で、とりあえず肉体的な疲労はさしおき<精神的な問題>は発生していない。
 かつての<精神的な問題>といわゆるとの関連は正直なところ自分でもよく分からない、だから、それについては積極的には喋らないことにしている。広い教養を持つ精神科医が散文よりも詩歌や絵画にやたら言及するのは、散文にほぼ必然的につきまとってしまう政治性が非常に邪魔であるからかもしれない。わたしは「心はこちらで身体はあちら」という言い方は恥ずかしくて真顔で使用する事ができない。それはたとえ大学でジェンダー論を学んでいなかったとしても恥ずかしい事には変わりなくて、ただ、もちろんお店でそういう事を言われたときは冗談にしたり微笑んだりするくらいにはあの頃と違って大人になっている。
 しかしわたしの歴史はその<精神的な問題>が発生する前後の時期を真ん中に挟んで革命前革命後のように見事に二つにぱっくり割れてしまっているのは事実で、この深い溝を埋めずにこのまま生きるのはどうも——こういう表現はいまさら何を言ってるのか、な感じがするけれどとにかく——健康的ではないような気がする。だから、わたしにとっては変わったことよりも、変わっていないことの方が大事だし、この十年抱き続けてきたものを見失わないことが大切で、それを完全に手放してしまったときわたしは軌道を外れた人工衛星のようにあなたに飛んでいってしまうだろう。
 そこでわたしは東京に来てから暇を見つけてはかつて歩いていた場所を巡っていて、こないだはお茶の水のそのの医者のもとに通ったあとに、かつて三年間通った大学まで歩いた。お茶の水の喫茶店であたたかい薄緑色のミントティーを飲んでいると隣の席で老人たちがキリスト教の神様について語っていて、わたしにはそれがとても懐かしく思われた。その話の内容にではなくその話す口調のゆるやかさに。こちらにきてからわたしが聞いたのはだいたい昼間は乾燥した金属のように空間を滑っていく声、夜は酒と色に酔った生暖かく粘ついた声ばかりで、その中で早くもわたしは多くのことを学んだけれども、そこがわたしのたどり着きたい場所だとはどうしても思えなかった。わたしはどう転んでも特定の既存の神様を信じることに向いていない人間であるけれどこのようにともにぬるま湯につかるように誰かとゆるやかな言葉を共有することには強く心惹かれる。けれどそんな誰かは今のわたしの周りにはもはや存在しないということに思いいたると索然とした気持ちになり席を立つ。
 それからかつて通った大学のキャンパスまで歩いた。お茶の水からここまでの街なみは新宿や池袋と比べるとどこか余裕があって、たぶんそれはこの街が背負っている歴史ゆえのものだと思う。その歴史は大学のキャンパスの中に入るといっそう色濃く、どれだけその時代をときめく商売人や権力者が行き来してもこれらの建物たちはまったく動じることなく<歴史>の中にまるまると飲み込んでしまう風情だ。だから逆に言えばわたしのようなもはや外部者となってしまったうさん臭げな人間が闖入しても誰もとがめない。
 文学部三号館に向かう時、あのときのわたしが熱心に講義を受けた著名な翻訳家の教授とすれ違い、あのときの○○○です、と声をかけたい衝動に駆られるけれどもどうせ気づくはずもなくてやめた。そしてそうだ、わたしも大して変わっていない。とにかくわたしはわたしの書くものを書こうと思った。