ある小説書きの死

 ばかなやつ、心からそう思う。
 
 わたしがはじめて彼と出会ったのは、確か10年くらい前のことだったろうか、うん、たぶん、そうだね、彼が確か大学に受かるかとか受からないかとかそういう時のことだった。
 あのときからさあ、存在感、あったなぁ。

 演劇やってたせいか声がよく響くし、あと身体がでかいし、顔が濃いし、あとね、人の身体を触れるときなんかやたらキモいのよww、なんつうか、ね、まあつまるところ押し付けがましいほどの存在感、としかいえないな。
 彼は小説書きだった、わたしもその頃たくさん書いていた。おそらく、彼が純文学と呼ばれているらしいタイプの小説を書いていたころは、彼は大分わたしを意識していたんじゃないかと思う、やや、思い上がりかしら?ううん、彼はたしか「あと○年であんたに追いこせばそれでいいんだ」とかワケのわからないことを言ってた、まあ、なんというか、いくつか共通点があったのだ、当時は認めたくなかったけれど。彼もわたしもメンタルに問題を抱えていた、し、あとはなんなんだろうな、成熟を拒否しているようなところが似ていたんだろうか、しかしわたしは彼の拒否の仕方は嫌いだったし、嫌いだと口に出していた。いまから思えば同族嫌悪だろう、明らかに。彼の反抗の仕方はわたしにはやや芝居がかっているように見えたし、あまりにも型通りだったし、であるがゆえに勝ち目がないように思えた。もっとも、勝ち目のある成熟の拒否の方法というものが現実に存在するのかどうかはわからないけどね。
 で、そういうところが小説にもはっきりと現れてた。文章は綺麗だけれど彼の小説は青臭かったし、いわば「男の子らしい女々しさ」とでもいうべきおセンチなところがあって、わたしはそこをすごくdisっていたような気がする。

 いまや彼は死んでしまった。わたしは生きている。かなりギリギリ、かなりヘンテコな生き方で。現在のあり方は成熟への拒否?まあそうとも受け取れるかもね。
 かつて、創作だか小説だかで徹底的にdisりあいなどしていた二人が、かつて、下北沢のぶーふーという地下のうさんくさい喫茶店で店員に白い目で見られながら朝が来るまで口喧嘩していた二人が。思い出すのだ、お互いのことを徹底的に非難しあいながら、小田急が動き出す頃になって、とつぜん彼が笑いはじめ「あーばかばかしい」みたいなことを言い出して、何もかもばかばかしくなってしまった朝。

 わたしはもしかすると彼のことを大きく誤解していたのかもしれない。彼は根本的には真人間だと、自分の真人間でなさと比べて、思っていたのだ。なぜって、彼はなんだかんだで家族のことをとても愛していたし、学生生活というものに対する態度はその不真面目さも含めてなんだかんだで平均的男子w大生、という気がしたし、なんだかんだで就職をするし、なんだかんだで自転車や釣りといった健康的な趣味があったようだし、なんだかんだで芝居という、わたしにはできそうもない集団行動にコミットできたし、それにたいてい「女子高生とセックスしたい」だの言う男子大学生っていうのは、真人間であることから来る閉塞感を、そういう言葉で発散しているだけであって現実にはたいてい常識人なのだ。常識人じゃない奴は無言で行動に移す。さすがに人のアパートでトイレットペーパーに火をつけはじめた時はコイツ頭おかしいんじゃないのかしらと思ったけれどね。まったくキチガイじみた時代だったわ、池袋時代。
 そうなのだ、彼は「なんだかんだで」なんとか折り合いをつけていく、と思っていたのだよ、わたしは。「なんだかんだで」折り合いをつける、すばらしいことじゃない。すっきり折り合いつけるよりベターだし、折り合いつけられないことと比べたらもっとベター。ところが彼は薬を飲み続け、死にたいだのなんだのと日記に書き続けていた。彼がどういう風にああいうことになってしまったのかは未だにわからないけれど、ね。事故だと思うのよ、でも、薬を頼りにしなければならない状態がずっと続いていたのはやっぱりよくなかったと思う。
 いまから考えてみると、ある時期を境にどうも彼はおかしくなったような気がする。わたしから見て、だけれどもね。mixiでブロックしたこととか、ゴールデン街でわたしを思いっきり批判したこととか、まあ、そんなことはどーだっていいんだけれど、(正直お互い何を言ったのかすら覚えていない。会った時からすでに口喧嘩モードだったのだ)なんというのか、余裕がなくなっていったように見える。そのせいで、彼のネガティブな方向の彼らしさがより先鋭的になってしまったような、そう、何かに追いつめられているような。馬鹿な、まだ20代だろー?まあ余裕ないっちゃわたしも同じだったけどね。ラノベでもう少しで新人賞、ってことになったとき、もすこし声のかけようがあったかもしれないけれど、なんでだろう、彼、無闇矢鱈に人の感情を逆撫でするところがあるのよ、人をわざと苛立たせるというか、論破厨っぽいところがあるし、なんであんなにわざと人から嫌われようとするんだろう?そこははっきり言ってわたしは未だに理解できない、理解できないし、ばかだなあ、と思う。わたしは寂しがりやだし、愛着ある人間に嫌われるのはいやだ。わたしは弱い。いやそれを言うのなら彼だって弱いのだが、彼は自分でそれを認めようとしない。

 ここまで読んでもらったらだいたい勘づいて頂けると思うけれど、わたしと彼の関係はここ最近は必ずしもよくなかった、というか、ほぼ絶交状態だった、なんというか、わたしとしては、そのうちまた「なんだかんだで」しゃべる場を持つことになるんだろうなあ、嫌いだけど、と思っていたのだが、そのまま絶交状態が続いた。おや、おかしいなとは思っていたけれど、わたしにだってわたしの生活はあった。
 そして「なんだかんだで」彼は人生を歩んで行くのかと思っていたら、なんだかんだとはいかなかった。でもさあ、なんだかんだでなんとか行く方法はあったと思う。なんの必然性もない、こうなる必要なんてどこにもなかったんだよ、これは事故だよ。ばかやろーだ、もっと気をつけていれば。わたしは電話でそう言った。涙が出た。

"戦友が、戦争で、ヘマをして死んだ。だから「アホか」という想いが最も大きい。「もうちょっと上手く戦えば、死ななかっただろう。もうちょっと慎重に戦えば、いつかは勝てたかもしれないじゃないか」と。"

 彼の友人Jがこのような文章を書いたが、ここにつけくわえることはとくにない。
 でももしかすると、すべての人間の死は、というか死に限らずあらゆる出来事は、なんの必然性もなく、こうなる必要なんてどこにもなかった、と語られるものなのかもしれない、あらゆる生は失敗の集まりでしかないのかもしれない。そうだとしても。
 ばかやろう、としか言いようがない。ばかやろうよ、あんたは。
 今でも思い出す。池袋のアパートで、下北沢で、上野の花見で、もううざったいくらいの存在感を持ったアイツのうざったい振る舞いを。

 Jから「あんたは死ぬなよ」的なことを言われた。まあ、わたしは死なないよ、とりあえずはね。なんだかんだでやっていくよ、なんだかんだは意外と通用しないものだけれども、それでもなんだかんだやっていくしかないじゃない。ただし、ナイーブとか繊細とか青臭いとかもううんざりだわ、煮ても焼いても食えないとか、図太いとか、そういう人間になりたいものだわ。

 もう、まったく。
 追悼文ってのはいつだって何となく滑稽だな。生者が生者の都合をたらたら喋ってるような気がして。