よわいこ。(1)手紙 

 あのひとたちが君をいじめるのは、君の才能を妬んでいるからに違いない、と言うあなたに、わたしはあのとき、違う、と言い、間をおいてもう一度違う、と言いました。ふたつの「違う」のあいだにあのひとたちがわたしを攻撃する本当のわけ、ずっとまえから分かっていたことをどう言葉にしたらいいものかと考えていたのですが、うまくいかず、話はうやむやのうちに終わってしまいました。今ならもしかすると書けるかもしれません。あなたには、わたしのすべてを知ってもらいたい。あなたにだけは、わたしのことを誤解して欲しくない。わたしはそうおもっています、たとえそれが現実には不可能であるとしても。

 あのひとたちがわたしの身体をぶったり蹴ったり暗いところに閉じ込めたり裸にしたりホースで水をかけたり、罵声を浴びせたり変な格好をさせたり理不尽な命令をしたりするのは、わたしがあのひとたちとは違うからではありません。もしわたしが、たとえばあの日一緒に見たまんが、ドラゴンボールに出てくるナメック星人のようだったら、あのひとたちはわたしに一歩も近づかないだろうとおもうのです。そう、あのひとたちは卑劣で臆病で根性無しだ、というあなたの意見は正しい、けれどあなたはとても重要なことを見逃しているようです。実はわたしもあのひとたちと同じように卑劣で臆病で根性無しなのです。そう、あのひとたちはわたしのことを自分と同じような人間だと感じるから、攻撃するのであって、決してわたしが特別だからではありません。もし、わたしが自分が特別だといい募ったら、あのひとたちはその行為自体を「ふつう」の枠内に吸収させて、そして、わたしの頬を叩くでしょう、何が特別だ、思い上がりやがって、笑わせる、と。その表情はきっと言っているはずです、「お前もおれと同じだな」と。そしてそのとき、あのひとたちはまったく正しいのです。わたしたちの世界では。
 あなたはきっと知らないでしょう、あのひとたちのわたしへの攻撃は多くは「正しいものが間違ったものを罰する」というかたちで行われるということを。わたしたちの世界を締め付けている不文法は、奇妙に伸び縮みし場合ごとにかたちを変え、わたしをいつも有罪とし、わたしの身体を傷つけます。こんなことをあなたには言いたくなかったのですが、一度、わたしは、あなたたちのやさしい世界でも明らかな悪とされるような、とてもひきょうな行為を働いてしまったことがあります。あのひとたちは未だにそのことでわたしを詰問し、暴力を振るいます。わたしは未だにこの刑期を終えていないようです。そしてこの罰に抵抗すると、さらに罰が加算されるのです。また、わたしはひどく臆病で怖がりで、ほかのひとたちが簡単にできることができないのですが、それは努力が足りたいからだ、とあのひとたちはわたしをぶちます。できないことを前にして、身体をもじもじさせている姿勢は、あのひとたちの目にどう映っているのでしょうか。たぶん、あのひとたちは、自分の嫌いな自分、をわたしに重ねあわせているのでしょう、こうなってはいけない自分、決して許すべきではない自分、そしてあのひとたちがわたしを罰しているとき、あのひとたちは架空の自分を罰しているのでしょう。だから、あなたはこれをいじめといいますが、わたしたちの世界ではいじめとは呼ばないのです。それどころか、まったく正しい行為なのです。
 この世界でよりよく生きるためには、正しい側に回るしかありません。けれどそれはとっても難しいことで、それならばいっそ、間違って、大きく間違って、あのひとたちとは違う存在になればいい、とある日わたしは思いました。できることなら、よりわたしの身体に合うような間違い方で。あのひとたちは同じ種類の同じ世界の人間しか攻撃しません。ネズミのように臆病だから。髪の毛を真っ赤に染めようか、顔中にピアスをつけようか...そんなことを思ったのですが、わたしにはやっぱり、どうしてだか、その程度のことさえ、できないのです。あのひとたちと同じように、ネズミのように臆病だからです。もしわたしが正しい側に回ったらあのひとたちと同じことをするのかもしれません。
 ある意味では、わたしとあのひとたちは仲間とさえ言えるのかもしれません。ごくまれにあのひとたちのひとりから優しい声をかけられることがあるのです。信じられないことなのですが、そのとき、わたしはなぜか感動を覚え、飼い主を前にした犬のように喜んでしまうのです。それはそのひととふたりきりになったときに起こる例外的な事件で、あのひとも「あのひとたち」になればたちまちわたしに痛みを与えるというのに。
 
 だらだらとした文章になってごめんなさい。ここまで書くのに、表現しづらいことや、あまり書きたくないこともあり、けっこう苦労しました。でも書くことで少し胸がすっとしたような気がします。とりあえず、あの日わたしが言えなかったことは、こういったことなのです。わたしが痛めつけられるのは、わたしが何か変わったところを持っているからではなく、ただ単に、わたしが弱い子だからなのです。正しい側に回ることも、間違い切ることもできないからなのです。